「夏、駆け抜けてビー玉!」をふりかえる①

「夏、駆け抜けてビー玉!」公演から、今日で早くも1ヶ月。

終演直後、感慨にゆっくり浸る間もなくお仕事の渦に飲まれまくり、さらに言葉を探すのに膨大な時間を費やしてしまう性分も相まって、振り返りがとんでもなく遅くなってしまいました。さっそく反省。ビー玉座組のみなさん、今度会ったら「おせーーーよ!!!!!」ってアッパー食らわせてやってください。

それでもちょこちょこ書き連ねてきましたので、読んでたのしいものかは分かりませんが公開してみようと思います。

 

念のため注意〜!

・ここに書いたことはあくまで私が個人的に考えていたことの振り返り/備忘録なので、演出サイドとの爆烈解釈違いとかあるかもしれないです()

・長い長い長い!!!!!とにかく長いです!!!!!ここだけは強調しておかなくちゃならん、長いです。薄目でお気軽に、ふ〜〜〜んってお読みいただければ嬉しいです。

 

*****

 

【①幸子について】

まずはこの夏をいちばん近くで共に過ごしてくれた、幸子について書いていきます。

 

 

幸子への第一印象は、ズバリ「変な子」。

幽霊なのに怖ろしさをまったく感じさせない。登場してすぐ初絡みのケンイチとコントみたいなやり取りかます……怖いどころか、ケンイチをどんどん自分のペースに巻き込んでいく様がとっても面白くて。たぶんすごくマイペースで変わった子、独特な世界観を持った子なんだろうな〜と思ってました。

ただ、「変わってる」というのは私自身が周囲に言われ続けてきたことでもあるので、その点では登場人物たちの中で一番親近感を持ちました。はじめて台本に目を通したとき、幸子とはいい友達になれそう!って直感で思ったんですよねぇ。

 

とはいえ、台本をいただいたばかりのころは幸子の性格がなかなか掴めなかったんです。本格的にお稽古が始まるまではとにかく家で幸子のセリフを何度も声に出して読み、自分の中で「いちばんしっくりくる瞬間」を探していました。

並行して台本の文字からもヒントを抽出して、幸子がどんな子なのか自分なりに考えていきました。

初めて話すケンイチにしっかり敬語を使っている

変わってるけど常識人ではあるよね、礼儀正しいんだな、なんとなく育ちがいい感じするな

ケンイチに結構ぐいぐい取り憑こうとする

人懐っこくて人見知りしないタイプか、基本的に人間と関わるのが好きなんだね、家族や友達からの愛は充分にもらってきたっぽい

生涯一度の恋を一途に5年温めていた

む、無垢だ……恋愛に関しては知らないことだらけで、だからこそTHE・夢見る乙女〜みたいなところがあるんだな

「大丈夫」ってめちゃくちゃよく言う

つい口をついて出ちゃうんだ、優しい子なんだなぁ、ひとに大丈夫でいてほしいと望んでるんだな

……みたいな。

それをもとに、お稽古が始まってからは演出サイドのみなさまからご意見をいただいて、がらっと変えたりマイナーチェンジしたり変えずに活かしたり。幸子の輪郭が少しずつはっきりしていく過程が面白かったです。

お稽古を重ねるごとに、私の中で幸子が体温をもったリアルな存在になってきて(いや死んでるから体温も何もないけど)、役をいただいてつくっていく醍醐味はここなんだろうなぁって感じながら過ごしていました。共演したみなさまの中には、私が心の中のイマジナリー幸子と喋っているやべぇ光景をよくご存知の方も多いと思います()  公演が終わった今でも、幸子は私の大切な相棒です!

 

 

お稽古が中盤に差し掛かったあたりから、幸子の心にもう一歩踏み込んで、彼女のどんなところをお客様に観てほしいか考え始めました。決まった軸はふたつ、「幽霊らしくない存在感」と「幽霊らしくない存在感のゆらぎ」です。

 

まず前者について。

オーディションのときは細い声にしたりゆっっっくり話したりと、ことさらに幸子の「幽霊らしさ」を強調していました。でも、お稽古の中で貴也さんから「幸子は幽霊なのに生き生きしているから面白い。幽霊らしくないところを見せていきたい」と伺って、幸子の演じ方をかなり変えたんです。

考えてみると、幸子って底抜けにポジティブな人間なんですよね!だって、自分が死んでることを「棺桶があったら入りたいくらいです」とか言っちゃえるくらいには受け容れてるんですよ!?彼女は自分の死すらも自分のアイデンティティにしてしまう、あっけらかんとした強さを持っている。だからこそ幸子は、幽霊なのに生き生きしていて、他の登場人物たちに負けない存在感を持っているんだと思います。まずはそこを幸子の基盤として観せよう、と決めました。

 

次に後者について。

"幽霊なのに"抜群の存在感を放っている幸子は、明るく過ごすのが上手な、本当に可愛くて賢い子です。

でもそのぶん、張り詰めた糸がふと撓んだ瞬間にだけ、彼女の存在の根っこがゆらいでしまうのかなぁと思ったんです。

それこそ"幽霊のように"透けて消えてしまいそうな、頼りなくか細い不安定な想いが彼女の中にはあって、彼女はそれをあっけらかんと認められはするのだけれど、自分で認めただけではどこか満たされない。だから成仏もできない。幸子の儚げな美しさは、ここから生まれるんだと思います。

"大丈夫"ではあるけど、"幸せ"ではない」……幸子は幽霊になってから、ずっとそんな状態のまま過ごしてきたんじゃないかな?

で、ケンイチは幸子のこういうところを近くで見てなんだか胸がきゅっとなってこの子の役に立ちたいと思って、そうやってだんだん彼女に惹かれていったんだろうなぁ……と。

主人公との関わりやストーリーの流れも含めて、この「ゆらぎ」は特にちゃんと表現したかったので、最後までこだわり抜きました。

 

 

また、演じていく中で、幸子はひとのために何かしたい、ひとに元気でいてほしいと願う気持ちが強い子なんだと感じました。同時に、それがケンイチとの共通点であることにも気づいて。そこからケンイチと幸子の関係性について、たくさんたくさん考えました。彼は唯一幸子のことが見える人ですからね!

 

ケンイチも幸子も「ひとが見える人」であり、「ひとから見えない人」であり、「ひとから見てもらいたかった人」なのではないかなぁ……と考えていました。

ケンイチはひとの役に立ちたいと願いながらも空回りしてしまう不器用な人ですが、おそらくその願いの根源は「見える」ことと「見てもらいたい」ことにあるのではないかと思います。ひとの苦労や辛さ悲しみを敏感にキャッチできる=「見える」からこそそのひとの役に立ちたいと思うし、役に立つことで自分を認めてもらいたい=「見てもらいたい」気持ちも強く持っている。ケンイチにだけ幸子が見えたのも、彼が「見える」人だったことと関係しているのかもなぁ……なんて、これは考えすぎでしょうか()

幸子は幸子で、初恋の相手を一途に5年見つめ続けて、見つめ返してもらえないまま亡くなってしまった。「見える」けど見てもらえなかったから、愛されたかった=「見てもらいたかった」が後悔の念となって、三途の川を渡れずにいるんだと思うんですよね。

こんなふうに、「ずっとひとを見てきた、ひとから見えない、ひとから見てもらうことを渇望する二人」だったからこそ、「互いを見つめ合う」ことができたんじゃないかなぁ。

……とまぁ、ここまでぜ〜んぶ私の勝手な深掘りなんですけれども……!!

それでも、この「見る」「見られる」ことへの意識は、幸子を演じ切るうえでものすごく活きた部分だと思ってます。

 

 

それと、「ひとを見ること・ひとに見てもらうこと」を考えた時間は、私自身の心にも大きな影響を与えてくれました。

このあたりのおはなしも今日載せようと考えてましたが、ちょっと……長すぎるので……つづきはまた明日。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!